Cooの独り言 
     2008

2008年11月12日のドーベルマンボルドーのブログ日記 恐いのは犬ではなかった!?  の記事冒頭に、

その日のシェリーの自転車引き運動の際にちょっと見に行きたい場所があり・・・ と、あります。

今回は、その時の話をこちらのページに記載させて頂きます。



話のはじまりは、今からかれこれ12年前に遡ります。

その頃、私は調理師として調理の仕事に携わっていました。

その職場近くの私が住んでいた家には、豆柴犬がいて、

それは私がその家に住まわせて頂く前から、その家の奥さんが飼っていた 大人しい雌の豆柴でした。

東京で幼い時からアパート暮らしだった私は、犬が大好きでも飼う事が適わなかったので

自分が寝起きする家に犬が居るという事をとても嬉しく思ったのです。


しかし、その犬はずっと鎖で括られたまま散歩にも連れて行ってもらえず、

ストレスからなのか、自分の尻尾をクルクルといつまででも追い回す常同行動がみられました。

私と出会った時、その犬は3歳を過ぎていて、一体いつからこんな状態なのかとその家の人間に尋ねると、


可愛がったのは仔犬だった頃だけで、餌は事務的にはやるものの

家に迎入れて1年も経つ頃には、家族の誰もが構わなくなった。
 


そう云われていた事を、今でもハッキリ覚えています。



私も日中は仕事に出ていたので、その犬とずっと一緒に過ごすというわけにはいきませんでしたが、

時間がある時は、出勤前の散歩と、仕事が終わってからの夜の散歩を出来るだけするよう心掛けました。


そして、それから約1年後、、、

その犬は妊娠しました。 野良犬とかかってしまったのです。

避妊もせずに外に括っておけば、どうなるかは予想出来ましたが、何度避妊を勧めても首を縦にしない飼主さん。

今回の一件、一体どうするのかと思っていると、

野良犬との間の仔犬など価値もない!保健所に出して母体ごと始末してもらう
 と言い出した。

それには、あぁ言えばこう言う こう言えばあぁ言う人だね と、人様からよくいわれてきた私も言葉を失う。




その後の数日間、私は色々考えました。

犬は好きだが、犬と暮らしたこともなかった私が出産に関わり、ましてや産まれた仔犬をどうしたら良いのか・・・

そして、自分は飼主ではないので決定を下す権利はない・・・などなどと。


でも、ここで眼を逸らし知らないふりなど出来ない!!

知らないことは勉強すればいい、仔犬は里親になってくれる人を探そう。

あとは、飼主さんに、そうさせて下さいと、お願いするしかない。



そう心に決めて、飼主さん家族が団欒していた居間にいき

責任を持って出産させ、仔犬の里親を探しますから、どうか保健所にはやらないで下さいと、頭を下げた。

しかしその時には首を縦にしてくれなかったので、その翌日もそのまた翌日も顔を合わせれば同じように懇願し続けた。

こうして、一度決めたらテコでも動かない私の強情さに根負けした飼主さんは、やっと首を縦にしてくれたのです。




豆柴犬の出産は真夜中3時前でした。

その頃 私は、出産のために (妊娠中の検診など) 病院にかかるお金を持ち合わせていなかったので、

お腹の中に何匹の仔犬が入っているのかも分からない状態で、全て動物の本能に従った出産となりました。

第一子の誕生間際だけ、犬は痛そうに鳴きましたが、それ以降は、産まれた後の始末と、

次から次に産まれてくる仔犬に追われ そうそう鳴いている暇はなかったようで、

ひっそりとした暗闇の中で、5匹の仔犬が無事産まれてきました。

私が手を貸すことなどほとんど無く、動物に本来備わっている本能に、とても感動したことを今でも忘れられません。


私は、その日から5匹の仔犬たちの成長記録をノートに取りはじめ、(朝晩の計測・健康状態など) 

ヨチヨチ歩きはじめた頃には離乳食を与え、5匹ともコロコロと健康に育っていました。

しかし、残念なことに、私の留守中、一番活発であった仔犬が小屋から這い出て母犬から離れ、

運悪くダムの放水時間と重なってしまった溝に落ち、(普段は干上がってる溝) 水に流され死亡。


母犬も私も数日の間 食欲を無くし、しょんぼりしていましたが、いつまでも悲しみに暮れ

残された仔犬達の事を放っておくわけにはいきません。

母犬は子育てに、私は里親探しに全力を注ぎました。


仔犬が生後3ヶ月になるまでに、2匹は里親さんが見つかりました。

1匹は、地元で開業医をされている方の家に嫁ぐ(笑)ことが決定し、

もう1匹はお子さんが3人いらっしゃる賑やかなご家族の元へ行くことになりました。

3ヶ月を過ぎたらお渡ししますと 約束させていただき、それぞれに色違いのリボンをつけて

お別れの日まで大事に育てました。





そして、別れの日・・・

仔犬達が3ヶ月を過ぎた時点で、3匹目の里親さんも見つかっていたので、いきなり3匹が居なくなり

母犬の不安を増長させぬよう 引取りの日にちを、数日づつずらしてのお別れでした。



里親が決まった3匹目は、私の職場の先輩(女性)宅にもらわれることになったので

いつでも見に行くことが出来たのですが、早く新しい環境に慣れてもらいたかったので

見に来て!と 誘われても、丁寧にお断わりさせて頂きました。

ただ、職場で仔犬の様子を先輩が楽しそうに話して聞かせてくれたので

その仔犬の名前がタムになった事、自分にとっても、先輩のご主人にとっても

タムは とても大切な存在になっているという事を知ることが出来たのです。





4匹目も3匹が里親さんに引き取られて間もなく、里親さんが見つかりました。

母犬の飼主さんの友人宅に引き取られることになったのです。

しかし、もらわれてから数日後に捨てられました。

わざわざ車に乗せ山を越えた遠い場所に捨てに行ったという話を聞き、

怒りに震えながら夜中に車を走らせ、捨てたであろう場所に探しに出向いた事を、今でも忘れません!

何時間も探し回り、翌日もまたその翌日もその場所へ行き探しましたが、結局見つかりませんでした。


この犬の出産から里親探しまでの 私の思い出は、全体的にあまり良いものではなかったのです。

人の数だけ物の考え方があるということを踏まえても、人って残酷 と思わずにはいられない

発言や行動を目の当たりにしたからだと思います。

そして、自分自身にもそういう部分が、心のどこかにあるかもしれないと考えると、気持ちが沈むからです。




元の状態 (母犬だけになった) になってから半年後、私は故郷の東京に帰ることになり

関東で数年を過ごした後、再び同じ土地にやってきたのですが、

最近、その当時働いていた調理場の方に出会う事があり、3匹目の里親になって下さった

職場の先輩が、私がその職場を去った2年後に病気でお亡くなりになったという事を知りました。


タムと名付けられたあの仔犬はどうなったのだろう・・・


それが気がかりだったので、シェリーの自転車引き運動時に、遠距離になると覚悟の上 訪ねてみたのです。

でも、そこには もう誰も住んでいませんでした。

タムと書かれた犬小屋には砂埃がかかっていて、タムも勿論いない。

その家のすぐ近くの畑で仕事をしていた おじいさんに、『ここにいた犬はどうなったかご存知ですか?』 と 訪ねてみると、

『奥さんが病気で無くなったあと、犬はご主人が大事にしていたが、その犬が死んだあと、ご主人、自殺されたんだよ』 と・・・ 







おじいさんから聞いた話に茫然としながら 以前、先輩が私に笑いながら話してくれた言葉を思い出しました。


『私が先に死んだらウチの旦那、自分もあとを追うって言ってるのよ〜w

でも、タムが独りぼっちになるから駄目って言ってあるの!』





そう言っていた先輩を思い出したら泣けてきて・・・

そして、ご主人は先輩の言っていた事を守ってくれたのだと知って また泣けてきた。


本当に 本当に 最後まで大事にして下さってありがとうございました。


飼う人によって犬の生き方が変わる という事を痛感しながら  誰も居ない家に合掌し、


シェリーと共にその場を後にしたのです。

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もうすぐ雪が降る・・・あの時も雪が降っていた